1453年に キリスト教の大聖堂から イスラム教のモスクとなったアヤソフィア
オスマン帝国に破壊されず 漆喰で塗りつぶされたモザイク画は
1847年から1849年の改修作業の過程で壁面の調査も行われ、
モザイクに感銘を受けたアブデュルメジト1世の命により漆喰が剥がされ 本格的な調査が行われたが
当時はまだアヤソフィアはモスクとして利用されていたため
この調査記録がまとめられた後、堂内壁面は再び漆喰が塗られたそう。
トルコ革命後 1931年にアメリカのトーマス・ウィットモア主宰のビザンティン研究所がモザイクの調査を行い、
1935年(オスマン帝国の滅亡から13年後)には トルコ共和国政府の手でアヤソフィアは無宗教の文化財として公開。
長年敷かれていたカーペットが取り払われて大理石の床のオンファリオン(戴冠のための円形の場)や、
除去された白漆喰が覆っていた多くのモザイク画が姿を現し
ビザンティン研究所により1950年代までモザイクの調査と漆喰の除去が行われたとのこと。
【↑キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻のモザイク画】
この図像は、もともとゾエが最初に結婚したロマノス3世によって寄進されたもので
ゾエが後にミカエル4世、コンスタンティノス9世と2度再婚しているため、
夫である皇帝の顔や銘文は、恐らくその都度作り直されたと考えられているようです。
【↑聖母子と12世紀の皇帝ヨハネス2世コムネノス夫妻のモザイク画】
12世紀に作成された コンスタンティノープルに残る唯一のモザイク画で
12世紀に東ローマ帝国領内で作成されたモザイクは今日ほとんど残っていないため、貴重なのだとか。
アプス半ドームにある聖母子のモザイク画
5 m近い聖母子の座像の両脇に大天使を配するが、北側の天使像はほとんど失われています
図像は元の装飾を忠実に再現したものか、
漆喰に塗り込められていたものを再びクリーニングしたのか、
あるいは新たにデザインされたものかは不明だそう
20世紀後半には歴史的建造物の保存に力が注がれるようになり、
1990年からはトルコと日本の国際共同学術調査が開始
2階までの壁面は多色大理石と金地モザイクで その上部は漆喰で飾られ、
アーケードは大理石の象眼細工で覆われ古代建築から剥ぎ取られた大理石円柱によって支えられています。
アヤソフィアの締めくくりにつづく
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トルコツアー「アヤソフィア 5」
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